【椅子】文 小池玄一郎
ああ、これは夢なのだなと合点が行きつつも私は、
胸を押しつぶすようなこの満足の気持ちを止められないでいるのです。
こんな気分を一度に味わってしまったら目覚めたときかなしい思いをするのに決まっているのに、
それでも私は居なくなった父と母とが並んで食卓に着いていて、
暴力の絶えない弟が壊してしまった筈の椅子に座っている、
笑顔の覗く夕食の風景にこんな嘘くさい代物に、本気でなびいてしまっているのです。
というか実際にはもう忘れていて、失われた物ほど大切にしたがるのが人の性とは云え、
時効って本当に有るのだなと、人並みに家族を意識する年の瀬の度に思っていたのですが、
そんな私でも、夢は見ます。
カゼを引いたのがよくなかったのでしょうか。
気が付くと、
寝る前に飲んだ薬が効いたのか、私は布団の中でびっしょりと汗をかいていて、
その代わり身体の節々の痛みはだいぶ薄らいで
「自分は死ぬまでずっとこのままなんだ」なんて本気で思っていたのが嘘のようです。
だけどその時、夢で見たあの嘘のような絵面を、
自分たち家族が描くことは二度とないのだと痛感されてしまって、
私は起こしかけた上半身を投げやりに布団に倒すと汗の不快な冷たさや喉の奥を灼く炎症を存分に味わいながら、
暗い天井に見下ろされるひとりの自分を思って泣きたかったのに、
どうにも熱っぽくてだるい感覚ばかり、涙を流すのも億劫です。
良かった。