【一輪】文 小池玄一郎
突如、誰もいない車両内に響く鈴の音に俺は揺れる
レールの軋みを尻に感じながら向かいの座席を凝視するも誰一人座っていない長椅子の
灰色にくすんだ緑を何色と言ったっけと要らん思索に耽るばかりで
ちっとも件の鈴の音の出所を掴めないのだがああそうだモスグリーンだこの色はと
酷くボンクラな結論を導き出し独り静かに達成感を噛みしめていると
チリーン
戒めとばかりにひと鳴り
下から聞こえたので素直に視線を落とせば果たしてそれは見つかった
温風を吐き出す向かいの席の足下部分に
セロテープで貼り付けられた紅色の糸に吊られた小さな鈴は
はてさて一体何のまじないか何かの呪いなのだろうか
不自然に鳴る地下鉄の鈴に俺は揺れるレールの軋みを尻に感じながら
向かいの席を凝視するも誰一人座っていない長椅子の足下から吹き出す温風に
紅色の糸が揺れ金色の鈴が鳴るのを聞くとは無しに聞いていると親父の声が聞こえてくる
あの小さな鈴の隙間から深刻な電話を努めて陽気にかけている親父の横顔が覗くので
目を逸らしたいのだがどうしても見てしまう
さっきから鈴の音だと思っていたのは親父のケータイだったのか
昔気質なもんだから未だに黒電話の呼び鈴を着信音にしてるのだ
リー…ンリー…ン
通話相手は例の不倫相手に違いないどこかしら甘えた声音で話す親父は
相変わらず鈴の中で聞こえよがしな会話を続け
年金もらえるようになったらタイに移住しようかと思ってるんですよ。
月6万じゃとても日本じゃ生きてけないでしょ、
でも向こうなら何とかなるかなって。同じように老後、タイとか国外に行こうって人、
結構いるみたいですよ。でもね、子供らは本当に何も考えてなくて頭痛いですよ。
働きゃしないんですから就職しても続かない続かない、
平日でも家に居るから「仕事は?」って訊くと「辞めた」ってこうですよ。
週末とか私も休みなんで話し合おうとしてても
地元の友達と「海行く」とか言って家に居ないんですから。
いっそのこと早く結婚でもして出て行ってくれれば少しは成長するかと思うんですけどねえ、
こっちもずっと養っていけるわけじゃないんで…。
あ。愚痴っちゃいましたね。スイマセン。
いっそのこと早く消えて欲しいんですけどねあのゴク潰し死ねばいいんですけどね。
一応世間体もあるし飼ってやってますけどホント殺してやりたいですよ殺して
首でも絞めてやれば逝きますかねぽっくりとイケますかねすっきりとすっきりしたいですね今度
ゆっくりとじっくりとしっぽりとずっぽりと穴 穴 アナ アナタと旅行でもね、
行けますかねぜひお願いしますよいえいえそんな御礼だなんて
俺は身震いして我に返るいつの間にか満席の車両内に感触隣の中年男の手の甲が
俺のとふれあいしわりと背筋を這い上がる人肌の悪寒にまたしても身震いする俺を
嘲笑うかの如き鈴の音に揺れるレールの軋みを尻に感じながら
この先どうするのかなんて考えを練る寝るねるれる
眠れる森の美女との出会いを夢見て茨に巻かれて苦悶の末にくたばる俺を嘲笑うかの如き鈴の音が
チリーン
闇の中から聞こえてくる散り際儚き人の性
トンネルを抜けても其処は闇
死んだら人は塵芥
その上に生え立つ一輪の
花を
見る